読書の記録
娘がティッシュのことをピシューというのがかわいい
嫌われる勇気
|
わたしの思う「アドラー心理学」が変わった。
今お話していいる臨床心理士さんの話「その話(夫は乳児期に育児を手伝ってくれなかったから、今やってくれて当然)は『今の問題』の理由にならないよね。それが難しくしている」というのとつながる。
「すべては人間関係の悩みである」
だとしたら、子育ての授乳の悩み、睡眠の悩みもすべて元をたどれば人間関係の悩み何だと思うと妙に合点がいくような気がした。
アドラー的には、なのに授乳や睡眠の悩みを解消するというのはナンセンスだということ。
臨床心理士さんには、だからといってすべてアドラーを当てはめるのは危険だとのこと。
フロイトやらその他の心理学があり、何を適応すべきかということにはエビデンスが無く、しっくりくるかどうかなんだって。おもしろいなぁ。
「承認欲求に振り回される人たち」に「嫌われる勇気」が出てきたけど、「承認欲求~」は「嫌われる勇気」の承認欲求の章を抜き出したかのようだった。
しかし、「承認欲求」とは「劣等感」とセットらしい。これもおもしろい。承認欲求は誰にでもあるものではないのね。
自分が全力を尽くしたところで相手にどう思われるか、それは「your business」だってことだ。
そして「すごい!」と子どもをほめることは上下関係をつくること。大人には言わないもんね。確かに。
「うれしい!」と褒めることも、「すごい」同様褒められるために行動することにならないかと思っていたんだけど、「うれしいかどうか」それは行動する側には何ら関係のない話なのである。確かにね。
「嫌われる勇気」の最後、
青年「10年前に知りたかった!」
哲人「いや、『今』だからこそ」
のやりとりはきれいにオチたなぁと感じました。
なぜあの人のジョークは面白いのか?
|
「面白さ」の科学。
人は「こう」だと思っていたことが覆されると笑える、などの条件が解明されている。
なぜ面白い人はモテるのか?を生物学的に考えていたのも面白かった。
しかし、仕組みはわかってもだからといって面白いことは言えないだろう。